dailygiftsyosuke’s blog

Posted a lot of information around the world and Japanese lesson

My experience in Philippines

筆者のコンパクト体験談(日本語)

 

フィリピンのギャング抗争について皆さんご存知であろうか。

ドゥテルテ政権以降、積極的なギャング、麻薬撲滅政策により、抗争は激減したというニュースを見たことがある方もいるかもしれない。

これはドゥテルテ政権以前、2016年、5月の出来事である。

 

私は友人と初めての海外旅行先に、フィリピンのマニラを選んだ。理由は主に2つだ。

・旅費が安い

・英語の練習をしたい

 

そんな漠然とした理由でマニラのことも知らないまま、3日間、滞在することとなった。

 

ニノイ・アキノ空港に着いたのもつかの間、いきなりタクシーでぼられる。

約3000円以上はやられたかなあ。(1800ペソ、約4000円、正規で乗ったら1000円で確実に行けた。) タクシーでぼられるなんて情報すら知らなかった私たちはまんまと彼らのカモにされたのだ。タクシー配車アプリGrabを知ることになるのは、ある"事件"が起きてからのことである。

 

 

タクシー越しから見たホテルの周りは、見たことのないネオンの看板で溢れかえり、「ものすごい地域に放りこまれた」とこの上ないカルチャーショックを感じた。タクシーから降りると足早にホテルにチェックインし、この日は2人で、残り2日強、どのように生きていくか作戦会議して寝た。

 

2日目、ホテルから出ると途端に勧誘が群がってくる。ここで反応していたら殺されると思った我々は近くのショッピングモールに向かい、スターバックスで朝食をとることにした。スタバは現地の人からするとぜいたく品の様で、デートやミーティングなんかをしている人が多かった。

 

すると一人の50代くらいの細身の男性が我々に話しかけてきた。「ニホンジン?」と。フィリピンに来て一度も日本語を聞いていなかった私たちは気をよくして話し込んでしまった。すると男性が、このモールのおすすめを紹介したいからついてこいと言ってきた。まあ、モールの中だしいいだろうと思った我々はついていくことにした。すると彼は店の女の子を指さし、あの子は知り合いだどか、夜は違う店で働いているとか、危ない雰囲気を醸し出す発言をしてきた。危ないと思った我々は足早にモールを後にした。というのもつかの間、一本違う道に出てしまったではないか。ついてきた彼があの店で話そうと誘導してきたので、NO,NO と引き返そうとした瞬間、店から男性が3人ほど大声を上げながら出てきたのだ。さっきの男性は態度を急変させ、「案内料をだせ。」と脅してきた。もちろん我々はNOと断るわけだが、そんなやり取りをしていると一人の男性がいきなり腕に入ったギャングの刺青を見せ、大声を上げながら襲い掛かってきた。周りの男性たちは彼を止めるそぶりを見せながらも、金さえ出せば解放してやるといい、仕方なく少額のチップを出すことにした。すると、「俺たちは大人だ。なめるな。」と更にまくし立ててくるではないか。結局我々は3000ペソ(当時のレートで6000円ほど) の大金を出し、解放された。

 

顔面蒼白であった。初の海外旅行でこんなことあるのかと。のちに調べたところ、当時のマニラの治安は東南アジアでは最悪、世界でもトップ20に入るくらいの危険地帯であったらしい。マニラではスモーキーマウンテンという有名なスラム街があるのだが、政府の政策により追い出される人も多く、ギャングも摘発を恐れて分散している現状があったという。我々が滞在していた地域はギャングの縄張りであったことは、ライフルを持ち警備している警察がちらほらいたことからも自明、かつ海外の風俗街は大体黒い力が働いているという常識からも納得せざるを得ないであろう。

 

その後、すぐに場所を移動し、マニラの高級街である、マカティで一日を過ごした。僕らのいた地域には観光客らしき人は一人もいなかったのに反し、マカティは観光客で溢れかえっていた。その事件以来、残り2日をマカティとスタバで過ごしたのであった。

 

初めての旅行で散々な目にあったのにも関わらず、その後東南アジアには幾度も訪れ、大学院では東南アジア学(高等教育の向上)を専攻するつもりである。これはきっと数年前のマニラでの体験があったかもしれない。。。。

 

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夜のマニラ

翻訳して英語でも上げます。